生物の多様性と民族の多様性 新妻昭夫

   
 

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 生物の多様性と民族の多様性
 新妻昭夫(恵泉女学園大学人間社会学部教員)


 タイとミャンマーの国境に近いヒンテック村で迎えた最初の朝、いつもの旅の習慣で市場をのぞいてみた。中国人の商店が並ぶ道端に、近辺の集落の人々が多種多様な野菜を持ち寄っていた。

 なじみがあるのはニガウリと、ゆでたタケノコぐらい。デンジソウなど、南日本で「水田雑草」と呼ばれている野菜が多い。ウリの仲間のツルの先端部も数種、野菜として売られ、カキとおぼしき果物も目についた。チェンライ近郊では大粒で濃黄色のトウモロコシを見かけたが、米国の種苗企業の影響はここまでは浸透していないようだ。

 この村に数日だけ滞在したのは、1999年の夏。友人の鄭さんにピ・ジョンさんのロッジを紹介してもらった。国境線が無性に見たくなっていたからだ。それまで10年ほど、東南アジアの島嶼部を歩きつづけていた。『マレー諸島』(1869年)を著した英国の博物学者ウォーレスの足跡を追う旅だった。どの島も大きくないから、地形だけでなく、生態系も人びとの暮らしも、把握するのがそう難しくはなかった。昔から移動交流のさかんな島々であり、地元の人も私も国境をほとんど意識していなかった。

 市場から戻ると、朝食をせかされ、すぐ出発だという。「マザーズ・デー」つまりタイの皇太后の誕生日の儀式があるという。正装しなければと、シャンの衣装の上着だけを貸してもらった。

 会場までは一時間ほど。山肌のところどころに竹林が広がっていた。焼畑を禁止するだけで適切な手入れをしないと、竹だけが勢力を拡大してしまう。いったん竹林が確立すると、自然に遷移してもとの森林に戻ることはないだろう。生物多様性の喪失の典型例だなと思いつつ、市場に竹の子が並んでいたわけに納得した。

 マツの苗木が一面に植えられていて、王室のプロジェクトだという看板があった。マツの純林にする理由が理解できずジョンさんに尋ねると、逆に、役に立つ木なのかと問い返された。薪にはなるけど、木材としては価値がない。松茸という高級食材が生え、四川省あたりから日本に輸出されていると答えたら、ジョンさんは真顔で考え込んでいた。

 会場には民族衣装で着飾った人びとが集まっていた。ヤオ族、ミャオ族、リス族、アカ族、ラフ族、シャン族、ワ族、そして雲南人。次々に披露される踊りを鑑賞しながら、各民族の宗教や生業について解説を聞くという、じつに贅沢な数時間であった。

 帰路、村を見下ろす峠で車が止まった。さきほど踊りを見たすべての民族の村が、この一望できる範囲に点在していると説明するジョンさんの視線は、畑が続く山並みの向こう側を見つめていた。手持ちの地図には国境線が引かれていたが、人びとの暮らす景色に国境線は見えなかった。私は1992年の国連環境会議で採択された「生物多様性保全条約」の限界を思った。むしろ「民族多様性保全条約」を先に議論すべきだったのかもしれない。


にいづま・あきお 札幌生まれ。専攻は動物学、博物学史。『種の起源をもとめて』(1997年)で毎日出版文化賞


2006年12月15日発行4号掲載

 

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